
カウンセラーのアオと申します。
全国対応でZOOMカウンセリングを行っています。
私はこれまで、仕事で8回の転職と、恋愛でも大きな失敗を経験し、気づけば自分を追い込み続けていました。
そんな私がカウンセリングを学び、自分を取り戻していく中で、人生が大きく変わりました。
もしあなたが…
✔️ いつも「いい人」でいようと無理をしてしまう
✔️ 自分を犠牲にして、気づけば心が疲れきっている
✔️ 何をしたいのか、自分の本当の気持ちが分からない
そんな悩みを抱えているなら、一緒に「自分らしく生きる方法」を見つけていきませんか?
ここでは、私の詳しいプロフィールをお届けします。
少し長いですが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
「私より他の子が大事なんだ」幼少期に感じた寂しさ

私は幼い頃から共働きの両親のもとで育ち、一歳にも満たないうちから叔母の家に預けられていました。
母は保育士で管理職だったため、休暇も取らず自分を犠牲にして働く人でした。
仕事へ向かう母を引き止めたくて、毎朝泣きじゃくったことを覚えています。
幼い私は「私より他の子のほうが大事なんだ」と感じ、甘えることをあきらめていきました。
4歳で引っ越した後も預け先は転々とし、母と過ごした記憶はほとんどありません。
ただ、夜遅く迎えに来た母との帰り道で、月灯りの下影踏みをしたことだけは鮮明に覚えています。
父はお酒を好み、毎晩のように深酒をしていました。
「お母さんを苦しめるな!」涙をこらえた小学生時代

小学校に入ると、ほぼ毎晩泥酔する父を見ていました。
母は夜眠れぬまま朝早く仕事へ行く日々‥
布団の中で泣きながら、私は心の中で叫んでいました。
「お母さんを苦しめるな!」
幼い私は、「お母さんに負担をかけてはいけない」と強く思うようになり、小学1年生の頃からご飯を炊いて母の帰りを待っていました。
ぐったり帰ってきた母の「ありがとう、嬉しい」という言葉に、私はほっとしました。
「いい子にしていれば、お母さんの役に立てる」
この時の私は、家の出来事を誰にも言わず表面上は明るく振る舞い続けていました。
言葉にできなかった感情を音楽に託した中学高校時代

中3からバンド活動に夢中になり、毎日音楽室でドラムを叩いていました。Jポップやロックに没頭し、高校に入ってからはオリジナルの詩や曲を作ることで、自分を表現していました。
「いつもの自分じゃない自分になれる」
音楽をしている時だけは、本当の自分でいられる気がしたのです。
大学時代、つきまとう「透明な感覚」

大学に入ると、友人に囲まれていても「自分がここにいない」ような感覚が続きました。
体の真ん中あたりが空っぽのようで、自分の一部が透明な感覚がつきまといました。
でも、音楽をしている時だけは、自分がここにいると感じられたのです。
「優しいね」「怒らないね」と言われるたびに、本当は違うのに‥
と思いながらも、“いい人”を演じ続けていました。
「何をしたいの?」答えられない自分が嫌だった20代前半

大学2年になると、周りの友人は就職を見据えて履修を決めていました。
しかし私は、バンド活動に夢中になり必要な授業を欠席‥
「何をしたいの?」「仕事は?」と聞かれるたび、答えられずに苦しかったのを覚えています。
自分の気持ちがわからず「何をしたいかが全くわからない…」とモヤモヤする毎日。
そんな自分を放置したまま堂々巡りを繰り返し、気づけば負のループにはまっていったのです。
「私には気概がない…」就活で突きつけられた現実

資格も取らないまま卒業を迎え、曖昧な気持ちでのまま就活をしてもうまくいくはずもありません。
アルバイトをしながら音楽会社の採用面接を受けたのですが、他の応募者の熱意に圧倒され、
「私は、こんなに音楽をやりたいわけじゃない…」と、自分の意欲の低さに落胆しました。
迷い続ける自分を責めるだけで、どうしていいのかさえもわかりませんでした。
周りの心配を無視し、疲弊し続けた20代後半~30代

大学卒業後しばらくして、介護の仕事に就きました。
お年寄りと接するのは好きでしたが、日勤・夜勤の繰り返しで心身ともに疲弊していました。
この頃は、特に自分を犠牲にして働いていました。
周りがうまく回るようにと無理を続け、8回の転職を繰り返しました。
同僚の穴埋めで長時間労働が当たり前になり、月170時間の残業月もしばしば。
周りから「無理しすぎ」と心配されても、「大丈夫」と平気を装い、助けを受け入れませんでした。
30代に入ると、夜勤中に涙がこぼれることもあり、何が悲しいのかわからないまま、ただ涙が出るだけでした。
そして3年も過ぎる頃になると「もう辞めたい」と思い退職を繰り返していたのです。
「どうして涙が出るの?」自分の気持ちがわからない日々

胸の中にモヤモヤが広がり、次第に大きくなっていきました。
「まずいな」と思いながらも、ただやり過ごす日々。
寝る前には枕元にメモを置き、仕事の段取りを書き出さないと眠れなくなっていました。
そして、いつの間にか泣きながら電車に乗って帰ることが増えていたのです。
「どうして涙が止まらないんだろう」
さっきまで普通に仕事をしていたはずなのに、理由もわからず泣けてくる‥
でもさらに自分に「大丈夫」と言い聞かせ、限界の自分を放置し続けていました。
「大丈夫」と装い続けた恋愛、そして人生の大きな転機

恋愛でも、自分の気持ちを素直に伝えられませんでした。
「会いたい」「〇〇に行きたい」
そう思っても、忙しい彼に負担をかけたくなくて、「大丈夫だよ」と平静を装っていたのです。
本音を言えずに我慢を重ね、些細なきっかけで感情が爆発することが増えていきました。
そして、人生の転機が訪れます。
「私はまた置いていかれたんだ」恋愛で重なった自己価値感の低さ

彼が仕事のため沖縄へ移ることになったのです。
ショックだったけれど、「わかった、頑張ってね」と笑顔で送り出しました。
でも本当は「また私は置いていかれる」「私は大切にされない存在なんだ」と心の奥で叫んでいたのです。
幼少期、仕事へ行く母を引き止められなかったあの時と、同じ感情が蘇っていたのに、そのことに気づけなかった私は、一番の本心をまた押し殺し続けます。
気持ちを伝えられないまま、不安と不満が蓄積し、やがて私は彼を責めるようになり、自分から別れを選んでしまったのです。
私を突き動かした“本当の気持ち”

彼と別れたことをすぐに後悔しました。
「今動かなければ、また同じ後悔を繰り返す」
そんな衝動に突き動かされ、それまでの自分なら絶対にしなかった決断をします。
仕事を辞め、知り合いもいない沖縄へ移住したのです。
見送る母を背に、羽田空港のロビーを歩くと、お腹の底から突き上げるような怖さがこみ上げました。
「この選択をしなければ、私は何も変わらない」
自分を鼓舞するように前を向きました。
私はここまでしなければ、自分を変えられないほど、追い詰められていたのです。
「お母さん、心配かけてごめんね」 沖縄での母との日々

彼とはうまくいかず、沖縄でひとり途方に暮れる日々が続きました。
さらに追い打ちをかけるような出来事が起こり、心が壊れそうなほどの悔しさと苦しさに襲われました。
雷に打たれたような衝撃とともに、心の奥に押し込めていた怒りや悲しみが一気にあふれ出しました。
その後、精神的に不安定になった私を心配して、母が沖縄まで来てくれました。幼い頃のように、母に全てをさらけ出し、泣きじゃくりました。
「お母さん、心配かけてごめんね」
感じることを避けてきた「怒り」の感情

転機を迎えた頃、私はパステルアートに出会いました。
絵を描く中で、喜びや悲しみは表現できたのに、「怒り」だけがどうしても描けませんでした。
「怒りって、どんな感じなんだろう?」と戸惑いを覚えました。
その時初めて、私は長年、怒りの感情を感じることなく、無意識に封じ込めてきたことに気づいたのです。
どうしようもなく途方に暮れた私を救った一冊の本

沖縄での生活の中で、私は精神的に追い詰められていました。
そんなとき、偶然手にした一冊の本が私を救いました。著者は、のちに私が師事する心理療法家の先生でした。
「これしかない!」と藁をもすがる思いで那覇のジュンク堂書店に走り、その本を手にしました。
そして、そこに書かれていたワークを毎日実践し始めました。
自分の感情と向き合う作業は想像以上に苦しく、怒りや悲しみが波のように押し寄せてきました。しかし、それが私にとって必要なプロセスだったのです。
沖縄では不思議な縁で人とつながることもありましたが、精神的にも経済的にも余裕がなくなり、私は沖縄を離れる決断をしました。
「このままでは私ダメになる」 心の原理原則を学び始めた日々

「このままでは、本当にダメになる…」
そう思った私は、深い挫折とともに東京へ戻り、心理について本格的に学ぶことを決意しました。
心の原理原則について講座を受け、学んだワークを日常生活に取り入れながら実践を続けました。
こうして私は、自分を立て直す第一歩を踏み出したのです。
封じ込めた感情に向き合い、自分を取り戻すまで

同時に個別カウンセリングやグループカウンセリングを受け始めました。
心の奥に押し込めていた感情が溢れ出し、自分でもびっくりするほどでした。
父への怒り、母への寂しさ、恋愛や仕事で抑え続けた本当の気持ち――。
私は長年、自分の感情を感じることを避け、鈍感になっていたのです。
心理ワークを続けるうちに、ある日ふと気づきました。
「私が、私を置いてきぼりにしていたんだ…!」
ずっと他人の期待に応え、自分の気持ちを無視していたことを理解した瞬間でした。
『相手を優先しなければ私は愛されない』という無意識の思い込みがあったんだということも理解しました。
その思い込みを手放してからは、人間関係で必要以上に気を遣いすぎることが減り、気持ちがずっと楽になりました。
私は少しずつ、「私はこうしたい」「私は今こう感じた」と、自分に寄り添うことを覚えていきました。
そして、気づけば「自分が透明で、ここにいない感覚」は消え、「私」を実感できるようになり、心が軽くなっていました。
人に頼ることで見えた、本当の自立

私は、『自分が頑張らないと迷惑をかける』『ちゃんとしないとダメ』と思い続けていましたが、実はそんなことはなかったんです。
自分の気持ちを大事にすること、自分に優しくすることで、生きることが楽になっていきました。
そして、「人に迷惑をかけてはいけない」と過剰に思い込んでいたことにも気づきました。
「頼っても、受け止めてくれる人がいる」
「それを喜んでくれる人もいる」
そう理解できるようになると、人に適度に頼ることができるようになりました。
支え合いの循環が生まれ、お互いに助け合いながら自立していく。そうして、心の自立が育っていきました。
相手に伝える時も、自分も相手も尊重するような言い方でうまく伝えられるようになりました。
たとえ私が気持ちを伝えたことで、相手と一時的に気まずくなっても、信頼関係が深まることを経験し、「言葉にすること」の大切さを実感しました。
価値観が変わり、人生の選択肢が広がる

さらに心理学やカウンセリングを学び、今度は自分が心について伝える側になりたいと強く思うようになりました。
そして、人生の転機から1年半後、絵の教室とカウンセリングルームを開設し、自分のやりたいことを形にしていったのです。
それまで「正社員で働くべき」「一つの仕事をやり遂げることが大事」と思っていましたが、その価値観に縛られることがなくなりました。
仕事のあり方は人それぞれ。
自分の選択を自由に決められることに気づいたとき、私は心から解放されたのです。
心の知識をもっと早く知っていれば…

私は、多くのエネルギーを使い、周囲に心配をかけながら、ようやくこの気づきにたどり着きました。
時間もお金もたくさん費やしましたが、その選択を後悔はしていません。
ただ、もしもっと早くカウンセリングの知識を知り、信頼できる人に相談できていたら、遠回りせずに済んだかもしれない――そんな思いが今もあります。
もうこれ以上頑張らなくていい

ここまで読んでくださったあなたは、きっと毎日、周囲のために笑顔で頑張ってこられたのではないでしょうか。
「モヤモヤしているけど、どうしたらいいかわからない」
「このままずっと続くのかな…」
そう思いながらも、
「私の悩みなんて大したことない」
「いつものように頑張れば大丈夫」
と、自分に言い聞かせていませんか?
もし心の奥で葛藤を感じているなら、その気持ちを無視しないでください。
まずは、「よくここまで頑張ってきたね」と、自分をねぎらってあげてほしいのです。
そして、ほんの少しでも気持ちを言葉にしてみてください。
ひとりでは限界だと感じるなら、勇気をもって誰かに頼ってみてください。
勇気のいる一歩を踏み出そうとしているあなたへ

これまでとは違う選択をするのは、とても怖いものです。私もそうでした。
「自分と向き合う」――それは、今まで感じたことのない怖さを伴うもの。
でも、あなたが大切にしてきた思いやりや気遣いを、これからは自分自身にも向けてみてほしいのです。
あなたのつらさは、誰かと比べるものではありません。
あなたが苦しいなら、その気持ちを堂々と感じ、表現していいのです。
【人生の選択肢が広がるカウンセリング】初回お試しを実施しています
一人でしんどいなら、是非一度、お試しカウンセリングをご利用されてみてください。
そして、カウンセラーアオとの相性をお確かめください。
✔️周りに負担にならないようにと、自分を犠牲にして我慢してばかり。もう限界にきている
✔️自分が何をしたいのかわからない…
✔️モヤモヤしながら職場と自宅の往復だけの毎日に疲れきっている
✔️転職を繰り返している
✔️アダルトチルドレン・HSPの傾向があるが、どうすれば良いかがわからない
あなたの人生の選択肢がより一層広がるお手伝いになれば、私にとって最高の喜びです。
今踏み出そうとしている一歩のその先で、あなたをお待ちしています。
長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

